“何かしてる間”に流したくなる動画が人気?
「TikTokやInstagramを開いたら、なんとなくずっと流してる」 そんな声を最近よく聞くようになりました。
Z世代を中心に、SNSではいま“ラジオ的な動画”がじわじわと存在感を増しています。とくに注目されているのが、“何も起きない”のに“なぜか離脱せずに見続けてしまう”動画たち。明確なオチがあるわけでもなく、劇的な展開もない。だけど、ついループ再生してしまう。そんな投稿に共通するのが、いわば「映像付きのラジオ」的な感覚です。
今回はこの“ラジオ的動画”という新たな視聴スタイルについて、その特徴や背景、そしてZ世代に刺さる理由を掘り下げていきます。
「ながら視聴」が新しい主役に?
Z世代の生活において、“ながら行動”は欠かせない習慣になっています。
- 通学・通勤中に音楽やポッドキャストを聴く
- 勉強しながらYouTubeを流す
- 家事をしながらTikTokを見る
こうした「ながら」状態に最適化されたコンテンツこそ、“ラジオ的動画”です。主張しすぎず、流しておける。だけど、“無音”でもなく、“無関心”にもならない絶妙な温度感。そんな動画は、「ちゃんと見る気はないけど、静かすぎるのも落ち着かない」というZ世代の“空白恐怖”にフィットしています。
この“空白恐怖(fear of silence)”とは、静まり返った空間に不安を覚えたり、間を持て余したりする感覚のこと。SNSを通じて常に何かが動いているのが当たり前になったいま、「沈黙の時間」がむしろ落ち着かないという人も増えています。
その意味で“ラジオ的動画”は、現代のZ世代にとっての「デジタルな環境音楽」とも言えるでしょう。
コンテンツの“密度”が薄いほど心地いい?
これまでのSNS投稿は、目を引く派手な編集や強いインパクトを持つ「濃いコンテンツ」が主流でした。しかし、Z世代の一部ではこの“情報過多”に疲れを感じ、逆に“密度が薄い”投稿に安らぎを覚える流れも出てきています。
たとえば、以下のような投稿が人気です:
- カフェで友達とぼそぼそ会話しているだけの動画
- 公園のベンチからぼーっと景色を眺めている様子
- 何気ない雑談を延々と続けている映像
一見、内容が「薄い」と思われがちですが、だからこそプレッシャーを感じず、自由に視聴できる。そんな自由度の高さが、“ラジオ的動画”の最大の魅力とも言えます。
なぜ“ラジオ的動画”が心に残るのか?
「記憶に残る」動画の条件として、これまでは“驚き”や“笑い”などの強い感情を揺さぶる要素が重視されてきました。
しかし“ラジオ的動画”は、逆に“記憶の隙間”に入り込むタイプ。ふとした瞬間に「あ、あの動画また見たいな」と思い出すことがあります。それは、おそらく“感情の強さ”ではなく、“感覚の残り香”が関係しています。
まるでお気に入りのルームフレグランスや、部屋に差し込む午後の光のように。“ラジオ的動画”は、記憶に定着するというより、感覚に“定着”するのです。
「見せ場」ではなく「時間」を届ける動画
もうひとつのポイントは、“ラジオ的動画”は「一番盛り上がる部分」ではなく、「一緒に過ごす時間」を届けていることです。
それはまさにラジオのような存在。DJの声や雑音、BGMも含めて“空気ごと”味わうという感覚です。
そして、そうした“空気感”にこそZ世代は価値を見出しています。
TikTokやInstagramでは、コメント欄にこんな声も:
「なんか、こういうのでいいんだよって感じ」 「何回も見てるのに、毎回落ち着く」 「寝る前に流すのにちょうどいい」
これらは“情報”ではなく、“安心”を求める視聴スタイルのあらわれです。
今後どうなる? “ラジオ的動画”の可能性
この流れは、今後さらに多様化していくと考えられます。
すでに、一人語りを延々と続ける「雑談ライブ配信」や、料理をしながら話す「作業系トーク動画」など、バリエーションは増加中。また、企業の公式SNSでも、わざと“何も起きない”コンテンツを出す試みも始まっています。
Z世代にとっての「バズ」は、もはや“派手”や“話題性”だけではありません。「自分の時間と調和するもの」が、自然と広まっていく。
“ラジオ的動画”は、その象徴的な存在なのかもしれません。
ライター:ミレイ・キタノ
感覚と言語のグラデーションを追いかける、Z世代ライター。大学では社会心理学を学びながら、InstagramとTikTokを中心に“ニュアンス重視”の投稿文化を研究中。小さな違和感や空気の変化をすくい取るのが得意。BuzzScopeでは、バズの裏側にある“共感の仕掛け”を読み解く記事を執筆している。