「誰に向けて話してるの?」が、なぜか刺さる時代
TikTokやInstagramのリールで、
誰かがスマホのカメラに向かってぽつりと話し出す動画──
- 「今日ちょっと落ち込んでてさ…」
- 「誰か聞いてるかわかんないけど、言わせて」
- 「なんとなく話したくなっただけ」
こうした“語りかけ系”動画が、Z世代の間でじわじわと人気を集めています。
驚くのは、その多くが「誰に向けて言ってるのか不明」なこと。
視聴者に向けて話しているようで、でもコメントを求めている感じでもない。
“自分用”っぽいのに、“誰か”にも届いてしまう──そんな不思議な動画です。
視聴者「0人想定」のコンテンツに共感が集まる理由
一昔前のSNS投稿は、「いかに見てもらうか」が前提にありました。
バズる、拡散される、反応されることが目的だったのです。
でも、今のZ世代の一部には、
“誰にも見られてないつもりで話す”スタイルが受け入れられつつあります。
なぜなら、そこにあるのは「等身大の感情」。
- 演じてない
- 盛ってない
- “伝える”より“吐き出す”
だからこそ、見る側は「自分もそう感じたことある」「これって私にも当てはまる」と思い、深く共感するのです。
カメラが“鏡”になった時代
Z世代にとってスマホのフロントカメラは、コミュニケーションのためのツールというより、
**「自己確認の鏡」**に近い存在です。
- 自分の気持ちを整えるために話す
- 日記感覚でカメラに話す
- 誰にも言えないことを、まず自分の前で言葉にする
その様子を投稿すると、見る側もまた「この人、ちゃんと自分の気持ちを見つめてる」と感じ、人間味を感じるコンテンツとして共感を得るのです。
Z世代は“反応されない安心感”も求めている
意外かもしれませんが、Z世代の中には、
「コメントが来るとちょっと怖い」「リアクションいらない」「でも見てほしい」
という矛盾した感情を持つ人も少なくありません。
だからこそ、
- コメント欄を閉じたまま投稿する
- 返信を求めない一方通行の発信
- 再生数やいいね数を気にしない雰囲気
そんな**“ノーリアクション前提”の動画**が、ちょうどいい距離感として受け入れられています。
「誰か」ではなく「何か」に話す感覚
この現象の面白さは、相手が明確ではないのに、語りかける行為自体が成立していること。
- フォロワーでもなく
- 友達でもなく
- たった一人の“わかってくれる誰か”を想定して
この“空気に話すような語り”が、「わかる」「自分もやってる」とZ世代の感覚にフィットしています。
ある意味で、「友達と話しているときより本音が出ている」ように感じる人もいるのではないでしょうか。
TikTokの文脈が変えた“話し方のスタイル”
TikTokの登場以降、動画における“語りかけ”の文化は進化しました。
昔のYouTube的な「こんにちは!〇〇です!」のような入りではなく、
- 「なんかさ、今日変なことあって…」
- 「聞いてほしいってほどじゃないけどさ」
- 「てか、これって自分だけじゃないよね?」
という、友達との雑談みたいな空気感が求められるようになったのです。
この「ゆるい話し方」+「誰に向けたかわからない視線」が、
Z世代にとって“心地よい聞き手”に感じられるのです。
まとめ:視聴者は「聞かされている」のではなく「のぞき見ている」
“カメラに話す文化”の本質は、「見られる」から「見せる」へのシフトではなく、
むしろ「聞かせる」から「のぞかせる」への変化です。
- 明確な相手がいない
- オチもない
- でもなぜか共感できる
そんな動画がSNSで支持されている背景には、
Z世代ならではの距離感・話し方・感情表現のスタイルがあります。
誰かに届くことを願いつつ、でも誰かには届かないでほしい。
そんな矛盾した欲求が、スマホのカメラ越しにうまく吐き出されているのかもしれません。
次にカメラを向けるとき、
話す相手が誰であってもなくても、そこに自分らしい声があるなら、それはもう“文化”なのです。
ライター:ユナ・ハセガワ
Z世代の“なんとなく好き”を深掘る、SNSカルチャー観察ライター。
投稿者の言葉づかいや間の取り方、目線や余白の使い方に注目しながら、「共感される理由」をていねいに拾い上げるのが得意。バズの構造だけでなく、そこに漂う“空気の正体”を言語化し、フォロワーとの距離感が変化する瞬間に強く興味を持つ。