「それ、全然映えてないけど好き」──バズの価値観が変わってきた
少し前まで、SNSでバズるには「いかに映えるか」が最重要とされていました。
完璧な構図、鮮やかな加工、非日常な背景。どれだけ“映えてる”かで、いいね数が左右される──そんな時代が確かに存在していました。
でも今、Z世代のSNSでバズっているのは、むしろその逆。
「生活感がある」「普通っぽい」「素朴でリアル」そんな投稿に、“バズの気配”が漂っています。
たとえば、
- 洗濯物が干された部屋での自撮り
- 居酒屋のテーブルに無造作に置かれたスマホ写真
- 化粧前のすっぴんで写るストーリー
- 朝のコンビニ飯をそのまま撮っただけの動画
いわゆる“映えてない投稿”が、Z世代の中で「なんかいい」「わかる」「好き」と共感され、
じわじわと拡散されていくのです。
なぜ「映えない」のに“いいね”が集まるのか?
この現象の背景には、Z世代の“親近感重視”の価値観が関係しています。
Z世代は、ネットが日常であり、“見せる自分”を当たり前に意識して育ってきた世代。
そのぶん「作られた完璧さ」への警戒心や飽きを感じやすく、
“自分に近い”“リアルに感じられる”コンテンツを好む傾向があります。
言い換えれば、**「近い存在に見える=共感しやすい」**という構図。
- 無理して着飾ってない
- 撮影のために整えてない
- 編集しすぎてない
そういう“抜け感”や“隙”のある投稿が、Z世代にはちょうどよく響くのです。
「生活感バズ」とは?──共感+自分ゴト化の構造
今、多くのZ世代が求めているのは、**「自分と地続きの世界」**が見えるコンテンツ。
キーワードは“生活感”。
- 洗面所の雑然とした鏡越し自撮り
- 飲みかけのカフェラテとiPadの作業風景
- ベッドの上でのくだらない会話を切り取った音声付き動画
これらは「非日常」ではなく「ありふれた日常の中にある、ちょっとした感情」を切り取ったものです。
そこに共感が生まれ、「わかる」「自分も同じようなことしてる」と自分ゴト化されることで、
じわじわと拡散していく──それが「生活感バズ」の構造です。
加工ゼロの“あえての素朴さ”は、信頼につながる
Z世代は情報の真偽を敏感に見極める力を持っています。
そのため、**過剰な加工や演出があると、逆に“遠く感じる”**という声も。
一方、「見せようとしてない感じ」が出ている投稿には、“信頼できる”という印象が生まれやすいのです。
たとえば、
- ストーリーのテンプレを使わずそのまま投稿してる
- 動画の背景にちょっと生活感のある物が映ってる
- 投稿時間がバラバラ(戦略的じゃなさそう)
こうした要素は「リアルそう」「無理してない」と感じさせ、
結果的に信頼→共感→いいねや保存へとつながっていきます。
“ちょっと抜けてる”が、Z世代の理想のスタイル?
SNS上では、「丁寧すぎる投稿=戦略的すぎて冷たい」と感じられることもあります。
それよりも、
- フィルターの色味がちょっと暗め
- 文章がゆるくて文法がバラバラ
- タグ付けすらしてない
そんな「ちょっと抜けてる」投稿のほうが、“等身大のリアル”を感じやすいのです。
これが、いまZ世代の中でじわじわ広がっている「映えない投稿」の魅力。
完璧じゃないから、見ていて安心できるし、ちょっと憧れる──そんなバランス感覚が支持を集めています。
まとめ:「“映え”の終わり」ではなく「“映え”の再定義」
「映えない投稿が好かれる」といっても、
それは“雑な投稿でいい”という話ではありません。
大切なのは、どこに共感のポイントを置くかという視点のシフト。
- 見た目の華やかさ → 共感できる距離感
- 加工や演出 → 日常の自然さ
- 完璧な構図 → 隙のあるリアル
これらの変化は、Z世代のSNSに対する感覚の進化であり、
「映え」の価値観がアップデートされている証拠なのかもしれません。
次に投稿するとき、「これ、生活感ありすぎて映えないかな?」と思ったら、
むしろそれがZ世代に刺さる武器になるかもしれませんよ。
ライター:ミレイ・キタノ
Instagram運用の現場で“バズの空気”を肌で感じてきたマーケライター。
加工に頼らない投稿設計や、リアルさが刺さるタイミングを見極めるのが得意。SNSの「映え」より「共感」を重視する潮流に注目し、フォロワーとの距離感をつくるコンテンツ設計を日々研究中。再現性のある“刺さる投稿”をことばにするのがライフワーク。