「SNSを辞めたい」じゃなく「ちょっと離れたい」
「SNS、もうやめようかな」と思ったことがあっても、実際にアカウントを消した人はそう多くないはずです。
一方で、「ちょっと離れたい」と感じた経験は、Z世代ならほとんどの人があるのではないでしょうか。
「通知が鳴らないと逆にホッとする」
「友達の投稿を見るのがしんどく感じる」
「ネタ探しのために投稿している自分に疲れてしまった」
──そんな小さな違和感は、日常のなかにじんわりと存在しています。
でも、そこで取る行動は “辞める”ではなく、“離れる”。
それは、「やめたい」と「続けたい」の間にある、
“いったん止めてみよう”という感覚なのです。
この曖昧だけどリアルな感覚が、Z世代のあいだで広がる
「デジタル断食(=デジ断)」 という新しいSNSとの関わり方につながっています。
SNSから“消える”のに、アカウントは消さない理由

Z世代の“デジタル断食”は、アカウント削除のような劇的な断絶ではありません。
投稿を止めたり、ストーリーを見なかったり、通知を切ったり……。
アプリは入れたままでも、心だけそっと離しておく。
それがZ世代の“リセット”のしかたです。
では、なぜ完全にやめずに“距離”を取るのでしょうか?
その背景には、SNSが**「単なるツール以上の何か」**になっている現実があります。
友達との関係を保つ手段であり、自己表現の場であり、時には情報インフラでもあるSNS。
だからこそZ世代は、全部を失わずに“回線を抜く”感覚で、いったん離れるという柔軟な選択をしているのです。
「やめる」よりも「リセット」の発想

Z世代の“デジ断”がユニークなのは、SNSに対して極端な否定や拒絶ではなく、整理や調整の対象として向き合っているところです。
これは、ダイエットや断食に似ています。
食べすぎたときに、「一生食べない」とは思わないけれど、「ちょっと控えよう」と思うような感覚。
SNSもそれと同じように、「情報を取りすぎてるかも」と思ったら、少し引いてみる。
それは、自己管理のひとつとして“ネット断ち”を位置づけているということでもあります。
“やめる”のではなく、“整える”。
これが、Z世代の“デジタル断食”の本質なのかもしれません。
「ちょっと休む」は、弱さじゃない
SNSから距離を置くというと、「疲れて逃げた」「ついていけない」といったネガティブな印象を持たれることもあります。
でも、Z世代が見せているのは、そのどれでもありません。
むしろ彼らは、“休むこと”を自分で選びとる力を持っています。
流れについていくのではなく、一度止まって、自分にとっての心地よさを確かめるためにSNSを離れているのです。
本当に必要なものを見極めるために、いったん立ち止まる。
**それは「弱さ」ではなく、むしろ“意思ある行動”**だと言えるのではないでしょうか。
SNSは“つながる”だけの場所じゃない

SNSは、つながりを深めたり、世界と出会えたりする素晴らしい場所です。
けれどそれは、いつもログインしていなければならない、という意味ではありません。
“デジタル断食”という言葉に、どこか共感できるなら。
それはきっと、あなた自身の感覚が、今の自分にとって**「必要な距離感」**を知っているということなのかもしれません。
SNSを続けることも、離れることも、どちらも自分で選んでいい。
その選択肢を持っていること自体が、これからの時代の「強さ」なのではないでしょうか。
ライター:ミレイキタノ
「つながり疲れ」や「空白の価値観」など、Z世代特有の“静けさ”に宿る感情をすくい取るライター。SNS社会における“沈黙”や“距離感”を、言葉にしづらいニュアンスごと丁寧にすくいあげ、読者の内側にそっと問いを残す文章が特徴。BuzzScopeでは「見られた痕跡文化」や「投稿しない存在証明」など、静的アクションの意味性を読み解く記事を多く執筆している。