“カメラロール供養”という習慣。日の目を見なかった写真がバズるまで

“カメラロール供養”という習慣。日の目を見なかった写真がバズるまで
“カメラロール供養”という習慣。日の目を見なかった写真がバズるまで
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あえて脈絡なく投稿するZ世代

「これは供養です」
「日の目を見なかったので、浮上させときます」
そんな一言とともに、なんでもない写真が複数枚並んだ投稿が、Z世代のSNSで静かに増えています。

それは、統一感も映えもテーマ性もない。
でもなぜか、“見てしまう”。
それが、今注目されている「カメラロール供養」という投稿スタイルです。

本来ならSNSに出すには不十分だったり、意味のなさそうな写真を、あえてまとめて出す
その“出し方”と“ゆるさ”にこそ、Z世代の新しいSNSとの向き合い方がにじんでいます。

そもそも「カメラロール供養」って?

カメラロール供養とは、自分のスマホに溜まり続ける未使用の写真たちを、SNSにまとめて投稿すること。

「映えてないけど気に入ってる」

「撮ったけど使い道がなかった」

「なんとなく残してたけど、誰かに見てもらいたい」

そんな“過去の記録”を、まるで供養するかのようにシェアするこの習慣。
Z世代の間では、あたりまえのように広がっています。

大事なのは、「投稿に意味がなくてもいい」という価値観。
SNSが“共有の場”から“記録と感情の整理の場”に変化してきていることが、この投稿スタイルからも読み取れるのです。

もはや「整ってない投稿」が共感される

昔のSNSでは、きれいな写真や統一された世界観が正義でした。
けれど今のZ世代は、あえて整っていないものに惹かれる傾向があります。

  • ピントが合ってない

  • 余計なものが写り込んでる

  • なんの変哲もない食べかけのごはん

むしろ、そんな“どうでもいい感じ”が、見る側の気持ちを軽くしてくれる。

つまり、「ちゃんと撮ってない写真」には、
見る人の想像を自由にする余白がある。
カメラロール供養が人気なのは、そこに投稿者とフォロワーのちょうどいい距離があるからなんです。

投稿の“意味”を外すことで、バズる?

実は「バズる投稿」には、“意外性”が重要だと言われています。
構成も狙いもない写真たちが、時に思いがけずバズを生むのは、そこに“偶然”の力が宿っているから。

たとえば:

  • 日常の風景が、誰かの記憶とリンクする。

  • 投稿者にとっては無価値でも、見た人には懐かしさや親近感がある。

  • まとめ方や並べ方に、妙なリズムがある。

意味のないように見える投稿にも、「無意識の空気」が詰まっていて、それが他人とリンクした瞬間に共感が生まれる。
Z世代は、“バズらせる”のではなく、“バズってしまう”投稿の力を、感覚的に知っているのです。

“捨てられなかった写真”が、感情を語る

カメラロール供養に選ばれる写真は、ただの失敗作ではありません。
「なぜか削除できなかった」ものばかりです。

  • もう行けない場所

  • 今は疎遠になった友達

  • あのときの気持ちがまだ残っている写真

それは一種の“感情の残りかす”。
でもその曖昧な気持ちが、SNSでゆるく流れたとき、誰かの“わかる”と繋がる力になる。

SNSにおいて重要なのは、情報量だけじゃない。
その投稿が「どんな気持ちの名残でできているか」が、今のZ世代には伝わるのです。

まとめ:バズらなくても、出していい

  • 「使い道がない」

  • 「映えてない」

  • 「意味がない」

そんな投稿にこそ、今のSNSには必要な優しさが詰まっています。
カメラロール供養は、“投稿は価値のあるものでなければならない”という呪縛からの解放でもあるのです。

“誰かのため”に作り込まなくても、
“自分のため”に出していい。
バズらなくても、心のなかの写真を外に出すことで、SNSはもっと自由になれる。

Z世代が生み出す、ゆるくて意味のない投稿の中には、
**今の時代に必要な“空気の逃げ場”**があるのかもしれません。

ライター:レン・タカミ
字幕とUXの交差点を探る、映像設計オタク。元・動画制作会社のエディター。今は企業SNSの字幕設計や視聴データ解析に関わりながら、映像×テキストの“伝わり方”を研究中。ミリ秒単位の字幕表示タイミングや、縦型動画における視線誘導の仕組みに詳しい。機能美オタク気質。

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