この写真、誰が撮ったんだろう?
SNSで流れてくる写真や動画を見ていて、ふと気になることがあります。
写ってる人はもちろんだけど、**「これ、誰が撮ったんだろう?」**って。
距離感がちょうどよかったり、目線が自然だったり。
被写体の“素の表情”に引き込まれていくうちに、見えないはずの「撮ってる人」が、画面の外に浮かび上がってくる。

今、Z世代のSNSでは、この**“カメラのこっち側”の気配**に敏感になる人が増えています。
それは、投稿された写真や動画の“空気感”をガラッと変える、もう一人の“登場人物”みたいな存在なんです。
誰が撮ったかまで含めて、作品になる時代
最近の投稿を見ていると、写ってる人と撮ってる人の関係性がにじみ出てるなと思うことがあります。
たとえば、ちょっと照れたような笑顔、自然な姿勢、カメラを意識しすぎていない雰囲気…。
それって、撮ってる相手に対して、安心感や信頼がある証拠かもしれません。
だからこそ、「この写真、どんな人が撮ったんだろう?」っていう想像が自然と浮かんでくる。
Z世代は、写真そのものだけじゃなくて、**“そこにある空気”や“関係性”**を感じ取る力に長けています。
撮影者の気配まで感じ取って、作品としての“深み”を味わっているのかもしれません。
投稿の“こっち側”がバズを生む
バズってる投稿を見ていると、撮影者の存在が感じられる動画や写真がけっこう多いことに気づきます。
特にTikTokなんかでは、こんな投稿が人気です。

カメラをまわしながら「撮って〜」って声をかけて、自然に回し始めた映像。
ちょっと照れくさそうに話す動画に、撮ってる人の笑い声が入っていたり。
ふとした視線の先に“誰か”を感じる投稿。
この「無意識のリアルさ」が、“作られた完璧さ”よりも響く時代。
見る側は、“あ、この瞬間は本物だ”って感じ取って、共感するんです。
語られないからこそ、伝わる関係性
投稿キャプションに「〇〇が撮ってくれた!」って書いてあると、関係性が見えてほっこりしますよね。
でも今は逆に、あえて撮った人のことを書かない“におわせ”投稿も増えています。
その方が、なんとなく“意味深”で、見る人の想像力をかきたてる。
「これ、もしかして彼氏が撮った?」「いつも同じ人が撮ってるよね?」みたいに、見えない部分まで楽しむのがZ世代っぽい。
関係性をはっきり書くよりも、“空気”で伝えるほうが“わかる人にはわかる”し、深いと感じる人が多いんです。
撮る人=演出家という考え方
撮る人って、ただシャッターを押してるだけじゃないんです。
その人のセンスや距離感が、まるごと映像に出る。

撮る角度ひとつで、優しさがにじんだり、遠慮が透けて見えたり。
言葉はなくても、どんな関係性で、どんな気持ちで撮ってるかが伝わってしまう。
だからZ世代にとって、撮る人はただの“裏方”じゃなくて、もうひとりのクリエイターみたいな存在。
構図のセンスとか、写ってる人の表情をどう引き出してるか、といった演出に、じわじわ惹かれていく。
まとめ:「見えない人」も、主役になっている
今のSNSでは、写真や動画に映ってる人だけじゃなくて、その裏側にいる人まで含めて投稿が語られているといえます。
誰が撮ったのか、どんな気持ちだったのか。
明かされなくても、その“気配”はしっかり残っていて、投稿の印象や広がりを左右している。
つまり、SNSってひとりで作るものじゃない。
“見えない誰か”の存在も、その投稿の大事な一部。
これからは「この写真、誰が撮ったのか」ってところに注目してみると、
もっとSNSが面白くなるかもしれません。
ライター:ユナ・ハセガワ
Z世代のSNSに潜む「空気」や「におわせ」を読み解くのが得意なライター。あえて語られない関係性や、投稿の裏にある“感情の余白”を丁寧に観察しながら、言葉と写真の距離感を探るスタイルが特徴。SNSを“演出メディア”としてとらえる視点で、見落とされがちな気配をすくい上げる。